『堕ちた天才Jr』~第一章 枯れ果てたその後に差し込んだ光
疳高い鳥の鳴き声がぼんやりと聞こえ、止まることの無い秒針に目を潜め、朝を迎える。
まるで気を遣うことを知らない日差しから背けるようにティーを入れ、明日はマージーサイドか?と独り言を呟いてみてはその一面から視線を外し、前職と関係の無い隣りの時事へと気を進める。
何気ない朝。
いつもどおりの朝。
そう思い込まずには気が持たなかった__
「" No one can stop his left foot!! "」
サイドネットが彼の左足からボールを吸い込んでしまう。
食らいついても一歩遠いそのボール。優れた芝刈屋さえ半歩及ばない。
何事もなかったかのように敵陣の網を揺らしては涼しげな顔をし、膝で滑る。
その全てが過去となっていた。
取り返しのつかないものとなっていた。
なぜか自分を責めようとする気もないし、やり直そうとも思えない、そこにあるものはそれらを引っ括めた喪失感ただひとつだった。
それでも、身体はまだ感覚を掴んでいるせいか、ときたま定時になるとリモコンへ手が伸びてしまう。
流れるシックなバラードから、向こう側に立っていた画面が映る局へとチャンネルを変える。
自国のセンスある若手を密かに見抜いては、高揚と無念の狭間で震えを感じる。だがもう自分には関係ない。関係の無い筈の世界にまだ自分だけの酒を忘れてしまったような感覚。
まだ30、まだまだこれから
俺は終わっちゃいない。
そう口に出せたらどれだけ楽か。
法という名の高き壁が、彼の喉元を厚く塞いでいた。
~十数年の月日が経ったある日のことだ
街の静まり時をみて繰り出した夜道。フードを被り俯きながら歩いてみると、通りがかりにふと一人の男がコチラを見てきた。
「やぁ、誰かと思えばかつてのスターではないか」
痩せ型の中年に呼び止められる。
あの頃は視線が酷く痛く感じていたが、鮮度の落ちた成らず者への世間的な注目は確実に薄れていた事を既に悟っているため、別段逃げようともせずにその男の前で立ち止まった。
「俺に何か用か?」
言い終わるか否かの手前で中年はコチラに
「あぁいいんだ。少し話だけ聞いて欲しいんだが、何せもう暗い。上に肌寒い時期になった。なるべく手短に済ませよう。」
中年は間髪いれずに続けた。
「キミの実力は皆よく知っている。だからこそ、もう一度居るべき場所に戻ってきて欲しいんだ。」
久しくなかった感情が込み上げてくる前に彼は我に返りこう応えた。
「アンタは…?」
しかし中年は先程の話を持ち直し、彼の功績を讃え始めたのだからいい加減アタマにきた。睨み付けて家路に向かおうとしたとき、
「あるクラブのコーチをキミに引き受けて貰いたい」
既にそのような内容である事など悟っていた。中年の着るコートの左胸には明らかにメーカーとは違うロゴが刻んである。
見覚えのある、赤と黒だ。
もうやる気など起きてはいない。
「断るよ」
そう告げてその場から去るつもりだった。
足を運ぶことができない_
一瞬の戸惑いを、迸るあの頃の感覚と、背徳感に駆り立てられたこの思いをもう一度元へ…
その感情を身体はまるで全てを理解しているようだった。
「分かっているよ。本当のキミはサッカーボールに嘘が付けない事を」
「見透かしたように言うんじゃねぇよ。もう俺は過去の人間だ… それに、、、」
"もう誰も自分の事など応援していない"
そう言い放つ手前で躊躇し、視線を泳がす。
「それに…?」
男の挟んだ端的で簡単な返しに詰まった
ところが、中年はそのまま続ける。
「キミをその気にさせる一つの理由を説明しよう。あるフットボーラーとの間に産まれた"二世"が私たちのクラブに在籍している
その子はまだ若い母親に連れられ、とある地元のフットボールチームに加わったんだ」
フットボーラーの父親譲りなのだろう
「父親と言ってもその子は自分のオヤジの顔を知らない。
実に奇妙な事だろう??
キミと同じレフティーだ。聞く所によるとポジションも、またプレースタイルも君によく似た右のウィングで…」
鳥肌が全身を駆け巡る
…まさか!、、そのまさかなのか??
嫌な記憶、忘れ去りたい記憶が一瞬にして身体中を包み込む。彼は咄嗟に言い返した
「嘘だろ!? その子の姓は………?」
…
ありえない…。
あの時、彼女のジーンズを下ろしただけでは無かったことは認めよう。ただそれ以上は無い筈…
真っ白になった彼の頭へとぶつけるように中年はこう言い放った。
「これで全てわかった筈だ。
家庭を持つキミが一晩犯した誤ち、それが十数年後に成功していたんだ。"性交"だけにね笑」
くだらないシャレに殴り飛す寸前まで怒りの感情が至ったものの、事の衝撃が勝り力が入らなかった。
「…なぜオレにコーチを頼むんだ」
自らの素朴な疑問で我に返った。
「クラブ側がキミを指名したんだ。"意図した"指名かどうかは分からんが、イングランドで左利きカットインが代名詞の選手といえば、間違いなくキミを選ぶだろう」
誇らしいように思える反面、同時に激しい悔しさや憤りも覚えたがここは収める。
「もうキミのスキャンダルなど誰も気にかけていない。新聞のコーナーフラッグ欄に少しだけ載るかもしれないがな」
中年はせせら笑いながらそう言うと彼の肩を叩き、こうも囁いてみせた
「キミが淫らな行為をしてみせた相手の娘はもうとっくに大人だ。彼女の"名前さえ"オモテに出なければ全てが上手くいく。
キミはもう一度、玉を蹴りながらメシを食えるのだよ。」
揺れる想い、彼の出した"決断"とは一
第一章
〜完〜
※この物語はフィクションです